頂天眼

物事の「本質」を考えるブログ

「宗教」の本質

神は存在するか?

空気を読まずに事実を言うなら

「神は居ない」

それが唯一無二の答えです。

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ここまでの事実を理解してる人、または薄々分かっている人は、この先は読まなくて良いです。

多分読んでも新たな学びはないです。

「は?神が居ない?なんて心の汚れた事を言うんだこいつは…」

って思った人に読んで欲しいコラムです。

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神とは何か?

神も仏も、サンタクロースも幽霊も、ウルトラマンドラえもんも、等しく人の空想の産物、というのが事実です。

しかし、世界の8割の人々は、何らかの信仰を持ち「神」を信じて生きている、それもまた事実です。

サンタクロースが居ない事は、大人になる過程で理解するのに、何故、神が居ない事は同じ様に理解しないのだろう?

いきなり宗教に対して否定的な事ばかり言っていますが、私は、結論として信仰を持つ事を否定したい訳ではありません。

かくいう私は、毎年正月には初詣に行って交通安全のお守りを買い替えますし、厄年には5千円を払ってしっかり厄払いをしてもらいました。

この記事では、事実をベースに持ちつつ、神や信仰の必要性にも目を向け、正しく受け入れる為の思考形成を目的に話をまとめたいと思っています。

 

神が居ない事の証明

世界の8割以上の人間が存在を信じている神を、居ないと言い切る根拠について、無い物を完全に証明するのは難しいですが、以下の様なアプローチで考えてみます。

それは、世界中に、姿や概念も異なる、一貫性の無い「神」的なものが点在している事こそに、共通概念としての「神」が居ない事が表れていると思います。

それぞれの信仰を持つ人にとって、それぞれの神や宗教の教義は重要な存在ですが、地球の裏側の知らない神の影響を受けないのは何故でしょう?

例えば、アマゾン奥地の原住民も何かの神を信仰して生きていますが、キリストとかブッダとかアラーとか多くの人が信じる神なんて知らないし、何の影響も受けません。
逆にキリスト教信者のイタリア人にとって、原住民の神の事は知らないし、教えに反しても何の影響も受けないでしょう。

では、「神」というのは、結局どこに居て何に影響を与えるのか?
その答えは単純です。
その神を知っている人の頭の中にのみ、その人が納得した形で存在すると言えます。

少し回りくどい表現をしましたが、要するに人間(誰か)が考えて伝えた存在で、知らなければ存在しないし何にも影響を与えない、頭の中の「空想の概念」だという事です。
世界中の神の違いは、人間の考え方の違いでしかないと言う事です。

結論、神は空想の産物ですが、他の動物より複雑に思考を巡らす人間の頭脳には、必要な概念でもあり、必然的に生じる概念の為、世界中、人の思考がある所には、色々な形で必ず生まれるのだと思います。

人の脳は信じる様に出来ている

ここまで、神は居ないと断言していますが、
先に言った通り、私は、お守り買うし厄祓いもするし、神社にお参りすれば、2礼2拍手1礼して神様に感謝とお願い事をします。

言ってる事とやってる事が違う!と思うかもですが、これは決して矛盾する考えではないです。

人は、嫌でも空想してしまう動物です。
いくら神は居ないと確信していても、「もし居たとしたら?」を空想出来てしまった時点で、信じているのと同義とも言えます。
潜在意識で信じてしまう人間の脳で、信じない事は、実質出来ないのです。

幽霊は居ないと確信していても、真夜中の廃病院に一人置き去りにされれば、「もし居たら。。」と考えてしまい、恐怖を感じるでしょう。

お守りを買う事で、安心な気持ちになるなら、買えばいいし、神様に祈る事で心が少し晴れるなら、自分にとって良い影響が得られている事は事実です。
人の脳は、信じる様に出来ています。
それに無理して抗う事は、それほど重要じゃないという事も、同時に思うのです。

宗教はプロレス

ここからは、本題とは離れますが、本質主義の私の、宗教・信仰に対する捉え方の話です。

もし、世界中の人々が、事実に基づいて神を否定する世の中になってしまったら、世界から、寺院も教会もお祭りも無くなってしまったら、なんともつまらない世の中になるなと思います。

宗教はプロレスの様なものと思う様にしています。

プロレスって「どうせヤラセでしょ?」って思って観ると、つまらないですが、事実にこだわらず柔軟な気持ちで見れば、ボクシングや総合格闘技の試合の様に、硬直状態で何も起こらず判定決着なんて事にならず、技は派手に炸裂し人々の一番望む展開を演出し、観客を確実に喜ばせるショーになるのです。

信仰は、人類の文化で、個性で、アイデンティティーで、世界を形作る要素のひとつであり、人々の心と社会を豊かにする為の重要なツールでもあると思います。

事実だけに固執せず、適度に信じて、ご利益を享受して、存分に人類の文化を楽しめれば良いのだと思います。

ただし、本当に重要な事を決める時は、事実ベースの思考で神様に頼らず判断するのが寛容です。